
関西の老舗企業が事業承継と人材承継を同時に進める方法
目次
関西の老舗企業が事業承継と人材承継を同時に進める方法
「会社は息子に継がせるつもりやけど、この技術を継げる人間がおらんのです」
大阪・堺のある金属加工会社の社長(68歳)が、工場の機械を見つめながらそう話してくれました。創業50年。社長の手は、半世紀の金属加工で鍛えられた「職人の手」です。その手が持つ技術——金属の微妙な膨張を読み取る感覚、0.01mm単位の精度を実現する加工技術——は、マニュアルには書けない「暗黙知」です。事業を息子に承継することは決まっている。しかし、この技術を誰に、どう承継するかは、まだ答えが出ていない。
関西は老舗企業が数多く存在する地域です。大阪の商家、京都の伝統産業、神戸の貿易商社——何十年、何百年と事業を続けてきた企業が、今まさに事業承継のタイミングを迎えています。中小企業庁のデータによれば、今後10年間で70歳を超える中小企業経営者は約245万人に達し、そのうちの多くが後継者未定の状態にあります。
事業承継は「経営の承継」だけでは完結しません。「人材の承継」——つまり、組織の中に蓄積された技術、ノウハウ、人脈、文化を次世代に引き継ぐこと——が伴わなければ、事業の継続性は保たれません。
私はこれまで500社以上の企業で人事に関わってきましたが、事業承継における最大のリスクは「経営者が替わること」ではなく、「経営者とともに蓄積されたナレッジが失われること」だと考えています。
この記事では、関西の老舗企業が事業承継と人材承継を同時に進めるための考え方と実践について、一緒に考えてみたいと思います。
事業承継における「人材承継」の3つの領域
事業承継に伴って承継すべき「人材関連の資産」は、大きく3つの領域に分けられます。
領域① 技術・技能の承継
企業が長年培ってきた固有の技術や技能。製造業であれば加工技術、サービス業であれば接客のノウハウ、商社であれば仕入れや目利きの技術。これらの多くは「暗黙知」として特定の個人に属しており、計画的に移転しなければ失われます。
領域② 人脈・信頼関係の承継
経営者や幹部社員が長年築いてきた顧客との信頼関係、取引先とのネットワーク、業界内の人脈。これらは事業の基盤であり、経営者の交代とともに自然に引き継がれるものではありません。
京都のある呉服問屋(従業員20名、創業120年)では、先代社長が持つ全国の呉服店との深い信頼関係が事業の生命線でした。事業承継に際して、先代が3年かけて後継者を全国の主要取引先に同行し、「顔つなぎ」を行いました。この「紹介の旅」が、後継者への信頼移転を円滑にしたと聞いています。
領域③ 組織文化・経営哲学の承継
企業の価値観、行動規範、意思決定の基準——これらは明文化されていないことが多いですが、組織のアイデンティティの核心です。経営者が交代しても、この「目に見えない文化」が維持されることが、老舗企業の強さの源泉です。
事業承継と人材承継を「同時に」進める5つのステップ
ステップ① 「承継すべき資産」の棚卸し
まず、「何を承継すべきか」を網羅的に洗い出します。
- 技術・技能のリスト(誰が何を持っているか)
- 重要な人脈・顧客関係のマッピング
- 暗黙のルール、意思決定の基準、経営哲学の言語化
- キーパーソン(退職すると事業に大きな影響がある人材)の特定
大阪・船場のある繊維商社(従業員30名、創業80年)では、事業承継の準備として「ナレッジマッピング」を実施しました。全社員へのインタビューを通じて、「この人だけが知っていること」「この人がいなくなると困ること」を洗い出し、リスクの高い順に承継計画を策定しました。
ステップ② 「後継者の育成計画」の策定
後継者(次期経営者)の育成は、事業承継の中核です。しかし、多くの老舗企業で後継者の育成が「放任」になっています。「いずれ自然にわかるようになる」では、承継は成功しません。
後継者の育成計画には、以下の要素を含めます。
- 事業の全体理解(各部門の業務を一通り経験する)
- 経営スキルの習得(財務、戦略、人事、法務の基礎)
- 対外関係の構築(主要取引先、金融機関、業界団体との関係づくり)
- 経営哲学の伝承(先代との対話を通じた価値観の共有)
- 社内での信頼構築(社員との関係づくり、リーダーシップの発揮)
神戸のある機械部品メーカー(従業員50名、創業60年)では、後継者である専務(先代の長女)に対して、5年間の育成計画を策定しました。1年目は製造現場での実習、2年目は営業部門での顧客対応、3年目は管理部門での経営管理、4年目は経営幹部としての意思決定参画、5年目は実質的な経営の移行——この段階的な育成が、後継者の「経営者としての実力」を着実に高めています。
ステップ③ 「幹部人材」の確保と育成
後継者一人で企業を経営することはできません。後継者を支える「幹部チーム」の存在が不可欠です。
先代の時代に活躍した幹部が、後継者の時代にも同じ役割を果たせるとは限りません。世代交代に合わせて、幹部チームの再編成を計画的に進める必要があります。
- 現幹部の中で引き続き活躍する人材の特定
- 次世代幹部候補の選抜と育成
- 必要に応じた外部からの人材採用
大阪のある食品加工会社(従業員70名、創業45年)では、事業承継に先立って「次世代経営チーム」を編成しました。後継者(社長の息子)を中心に、生え抜きの製造部長、外部から採用したCFO、若手の営業課長の4名で「経営チーム」を構成。先代社長がこのチームに半年間伴走し、経営判断のプロセスを移転しました。
ステップ④ 「技術・技能」の計画的な移転
老舗企業が持つ固有の技術や技能を、次世代に計画的に移転する仕組みを構築します。
- 暗黙知の見える化:ベテランの作業を動画撮影し、ポイントを言語化する
- 段階的なOJT:ベテランの指導のもとで、若手が段階的にスキルを習得する
- マイスター制度:ベテランを「技能伝承者」として正式に任命し、教育の時間と権限を与える
- 技能検定:習得状況を客観的に確認する仕組みを設ける
堺のある鋳物メーカー(従業員25名、創業70年)では、70代のベテラン職人が持つ鋳造技術を、30代の若手に移転する「技能伝承プロジェクト」を3年計画で進めています。週に半日を「伝承の時間」として確保し、ベテランが若手に「なぜこの温度なのか」「なぜこの速度なのか」を理論と感覚の両面から教えています。
ステップ⑤ 「組織文化」の言語化と共有
老舗企業の「らしさ」を次世代に伝えるために、組織文化を言語化し、共有する仕組みを作ります。
- 経営理念・行動指針の明文化(あるいは再確認)
- 先代の経営判断の事例集の作成(「なぜそう決めたか」の記録)
- 社史や創業の物語の整理と共有
- 定期的な「理念対話」の場の設定
京都のある茶道具店(従業員15名、創業150年以上)では、歴代の当主が大切にしてきた「お客様との関係づくり」の考え方を、「当店の心得」として文書化しました。10条からなるシンプルな心得ですが、150年の歴史の中で培われた知恵が凝縮されており、新入社員の教育から日常の接客判断まで、すべての場面で参照される「組織の北極星」になっています。
関西の老舗企業ならではの承継の強みと課題
強み:地域コミュニティとの深い結びつき
関西の老舗企業は、地域コミュニティと深い結びつきを持っています。この結びつきは、事業承継においても大きな強みです。「あの店の息子さんが継いだんやな」「頑張ってはるな」——地域の人々からの応援と見守りが、後継者の背中を押します。
強み:「商い」の知恵の蓄積
大阪の商家に伝わる「商いの知恵」は、事業承継の中で代々受け継がれてきた経営の知恵です。「始末して開く(無駄を省き、新しいことに投資する)」「損して得取れ(短期的な損失を恐れず、長期的な利益を追求する)」——こうした知恵は、経営哲学として次世代に伝える価値があります。
課題:「変えるべきもの」と「変えてはならないもの」の見極め
事業承継は、先代のやり方をそのまま踏襲することではありません。市場環境は変化し、顧客のニーズも変わります。「伝統を守りながら革新する」——この難しいバランスを取ることが、老舗企業の事業承継における最大の課題です。
事業承継のタイムラインを設計する
事業承継と人材承継は、「5年計画」で取り組むべきテーマです。具体的なタイムラインの例を示します。
5年前〜3年前:準備期
- 承継すべき資産の棚卸し
- 後継者の選定と育成計画の策定
- キーパーソンの特定とリスク評価
- 技能伝承プログラムの設計
3年前〜1年前:移行期
- 後継者の各部門経験と経営参画
- 技術・技能の計画的な移転の実行
- 主要取引先・金融機関への後継者の紹介
- 幹部チームの再編成
1年前〜承継後1年:実行・安定期
- 経営権の段階的な移転
- 先代と後継者の「並走期間」の設定
- 承継後のフォローアップ(先代がアドバイザーとして伴走)
- 組織文化の継続性の確認
大阪のある建材卸売業(従業員40名、創業55年)では、この5年計画に沿って事業承継を進め、先代から二代目への移行をスムーズに完了しました。特に効果的だったのは、承継後1年間の「並走期間」です。先代が週に2日だけ出社し、後継者が判断に迷ったときに相談できる体制を維持したことで、承継後の混乱を最小限に抑えられたそうです。
外部支援の活用
事業承継と人材承継は、社内の力だけでは完結しないケースも多い。外部の支援を適切に活用することが重要です。
- 事業承継の専門コンサルタント:承継計画の策定と実行を支援
- M&Aアドバイザー:後継者が不在の場合の選択肢の検討
- 税理士・弁護士:相続税、株式移転、法的手続きの専門的なアドバイス
- 商工会議所・事業承継支援センター:公的な支援制度の活用
関西には、事業承継の支援体制が充実しています。大阪府事業承継・引継ぎ支援センター、京都商工会議所の事業承継相談、神戸商工会議所の事業承継セミナー——こうした公的機関の支援を活用することで、事業承継の不安を軽減できます。
事業承継と人材承継は「経営の継続性」の問題
事業承継と人材承継は、「社長が変わる」という一回のイベントではありません。組織の「経営の継続性」を確保するための、数年がかりの取り組みです。
早めに始めること。計画的に進めること。一人で抱え込まず、社内外の支援を活用すること。これが、事業承継を成功させる鍵です。
関西の老舗企業が、事業承継と人材承継を同時に進め、次の世代にも続く強い企業を作っていくこと。その実現に向けて、人事の立場から一緒に考え続けたいと思います。
まとめ:事業承継・人材承継チェックリスト
- [ ] 「承継すべき資産」(技術、人脈、文化)を棚卸ししているか
- [ ] 後継者の育成計画が策定され、実行されているか
- [ ] 後継者を支える「幹部チーム」の確保・育成が進んでいるか
- [ ] キーパーソンの特定とリスク評価を行っているか
- [ ] 技術・技能の計画的な移転の仕組み(動画、手順書、OJT)があるか
- [ ] 組織文化・経営哲学が言語化されているか
- [ ] 重要な人脈・顧客関係の移転が計画的に行われているか
- [ ] 「変えるべきもの」と「守るべきもの」が整理されているか
- [ ] 承継のスケジュールが明確になっているか
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